歴史 江戸時代
例幣使料
徳川家康の時代、藤堂藩は山城地方(京都府南部)一帯を領有していたが、
承応2年(1653)11月にみかのはら北部に属する五つの村が例幣使料として
京都代官支配となった。また同じくみかのはら南部に属する四つの村が
禁裏御料となり、みかのはらは藤堂藩から離脱したのである。
例幣使は伊勢神宮と日光東照宮に朝廷の使いとして派遣される、
この派遣は毎年行われ、膨大な費用を必要としたので、
とくにみかのはら北部の1,009石余を選び、御料地としたのである。
この間、朝廷の直轄地となったみかのはらのお米は
例幣使料として納められていました。
現在も例幣使料と禁裏御料の境には 20もの使料碑が残っています |
私のご先祖様(とめきち)も謙譲米作ってたんかな〜
参考資料 「加茂町の歴史と文化」